神野 裕貴
中学校では、我々の身の回りのあらゆるものは細かく分けていくと最終的には原子に行き当たると習います。では、原子の中のさらに細かな構造はどのようになっているのでしょうか。様々な実験から、1900年の初めごろには原子は全体としては電気的に中性で、原子の中には正と負の電荷をもつ何かが存在していることはわかっていました。
そこから科学者はこの問いに対して様々な予想を立てていました。例えば正電荷を帯びた球体に負電荷がちりばめられたブドウパンのような原子、中心に正電荷をもった核がありその周りを負電荷がくるくると回っている土星型の原子など、ほかにも様々な描像の原子を考えてきましたがなかなか実証はされませんでした。
そんな論争に決着をつけたのがイギリスの物理学者アーネスト・ラザフォードでした。1908年ごろ彼の指導のもと助手たちが行った実験は薄く伸ばした金属箔に正の電荷をもつ粒子であるα粒子を照射して、どのようにα粒子の軌道が曲げられるかを見るというものでした。その結果、大部分のα粒子はほぼ直進するのですがいくつかは90度以上の大きな角度で散乱されているデータが得られました。クーロンの法則によると反対の符号で強い電荷をもったものどうしは強く反発し合うので、これは正電荷が一様に広がっているブドウパンのような描像ではなく、中心に正電荷の核をもつ土星型の描像に近いものであることが示唆されるものでした。そこからラザフォードは正の電荷が中心のごく狭い領域に集中し、その周りを電子が回る大部分が空っぽの原子の描像を提案しました。このように原子核を発見したラザフォードは原子物理においてその他にもα線やβ線の発見など様々な業績を残し「原子物理学の父」と称されています。